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SASANAMI DAYS

近江大津宮にまつわる云々 とか趣味のこと とか

草薙の剣の行方を追って

日本書紀の天智七年の項に草薙剣が盗まれた記事が載っています。

「是歳、沙門道行、草薙剣を盗みて、新羅に逃げ向く。而して中路に雨風にあひて、荒迷ひて帰る。」(岩波文庫


岩波文庫の注釈を読むと、このあと宮中に保管されていたと推測していて、朱鳥元年に天武天皇が病に伏し
占ったら草薙剣の祟りだというので(何故祟られるのか意味深ですねー)即日、熱田社に送ったのこと。
そもそも道行という僧がどこから盗みだしたのかよくわかりません。
何の脈絡もなく、その結果どうなったかもなく、この一文だけが無理やり挿入された感じがします。
うん、何かを言わんとしているよね、これ。色々妄想が掻き立てられます。

それはさておき。
その盗まれた草薙剣が発見されたという場所が、なぜだか福岡県の鞍手町に伝承が残っているとの情報を得て、早速行ってまいりました。

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まずは「古物神社」
ネットで調べたところによると、盗まれた剣が天に舞い上がりこの地に落ちたとか。草薙剣が降ってきた。古物は「降るもの」が転じた名前だそう。


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古物神社からそう遠くないところに「熱田神社」があります。
熱田!こんなところに熱田さんがあるとは驚きです。
この社が鎮座する地は「新北」といいます。カーナビ代わりに使ったGoogleMapは”シンキタ”と読み上げていましたが”ニギタ”と読みます。
おそらくニギタ=新北=熱田 だと思われます。草薙剣に縁がありそうです。

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そして「八剣神社」
僧・道行が盗みだした剣はここにしばらく安置されていたそうです。
ただの思いこみかもしれませんが、境内に入った時、ここに剣は居たんだ!という感覚に見舞われました。
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なんだかとても不思議な感じがします。
古代史を学ぶと、あー奈良に住んでいたかった、とよく思っていたんですが
調べてみると、意外なところに結びつきがあることに気がついて
いいじゃん、福岡。なんて最近思ってます。
 
一般人にはなかなか調べることも難しいのですが、ちょっと調べたい案件ですね、これは。
 

 



天智天皇botさんのつぶやき

ツイッター天智天皇bot(@ahumi_t)さんをフォローしています。
このbotさん、なかなか面白いことをつぶやくので、気に入っているのですが
時々コアなことを言うので、ドキリとします。

 

天智天皇bot

明日香皇子も気になるんですが、麻底良布神社のことまでつぶやいてる!

 日本書紀と麻底良山

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麻底良布神社のある麻底良山は標高294.9mの福岡県朝倉市にある里山です。日本書紀にある朝倉山(斉明天皇が朝倉宮を造営するために朝倉社の木を切り払ったので雷神が怒ったとか、崩御された天皇の殯を大笠をかぶった鬼が見ていたというアレです)が麻底良山。「朝倉社」が麻底良布神社だと言われています。

山頂に麻底良布神社があり一度登りに行ったことがありますが、気持ちのせいか、ややおどろおどろしい雰囲気があったように思いますが、たぶん気のせいですね。

今この記事を書きながら思いましたけど、いくら急いで宮を造営していたからと言って迷信深い古代の人がお社の木を切ったりしませんよね?絶対作為があるよね、日本書紀!とやはり思ってしまします…。

この山の麓の志波地区は、朝倉宮があったのではないかと推定されて場所のひとつです。発掘調査はぼちぼち行われているようですが、最近の様子はあまり聞かないのでどうなっているか気になるところです。志波地区遺構が麻底良布神社の方角を向いているとのお話を聞きました。むしろ宮の造営に際して社を立派にしようとしたとか、そいういったことはありませんかね?

 

麻底良布神社って延喜式にも記載されている由緒ある神社なんだけど、今となっては記録もあまり残ってないのでちょっと本格的に調べたくなりますねぇ。

それしても、明日香皇子って建王のことかなぁ(ボソリ)

天智天皇伝説の残る「琴弾ノ滝」

古代史のこと-ゆかりの地探訪

このゴールデンウィーク、今はなき地元ローカル登山雑誌「GreenWalk」に記事を見つけて以来、行ってみたいと気にはなっていたもののなかなか行きそびれていた山に行くことにしました。


なぜだか天智天皇伝説の残る滝

福岡県田川郡赤村。平成の大合併以降も村の名を残してるってなかなか貴重。同じ県内とはいえ、なかなか訪れる機会の少ない場所です。意外とも思える場所に何故か天智天皇伝説が残っているという。なにかあるのだろうか。
車でないとまず行けないような場所ではありますが、それなりに整備されていました。
ただ、看板と滝があるだけだったんですが…。
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紀元千三百拾年の頃というと、調べてみると西暦でいうと650年頃、大化6年または白雉元年頃ということになりますね。その頃はまだ孝徳天皇の頃だ、うーん残念!
あえて紀元で書いてあるところをみると、なにかしら伝承として残っているのでしょうか。すごく気になります。

そして「豊前の国に御立ち寄りの時」とありますが、何しに行ったの?!と言いたくなります。朝倉宮に政を移した白村江の戦いの頃ならともかく、皇太子時代に何のためにといろいろ妄想が捗ります。
 

中大兄皇子の名前

中大兄皇子が本当の名前ではなく通称であることは有名な話ですが、二番目の大兄を意味する名前としてそう呼ばれていた、という通説がいまだにしっくり来ません。二番目のって言ったって、一番目の人は早々にご退場されてますし(皇子様が殺してるんですけど)実際に政を行っていたときには大兄を称することができる人物が他にいないのに、あえて中大兄と呼ぶ必要ある?と思うのです。日本書紀、なんか隠してるだろ?!と思い続けているわけですが、ある時、ネットのどこかで見つけた説がすごく気になっています。
中大兄の「中」は「那珂」である。というもの。
関西の方とかにはピンと来ないかもしれませんが、那珂って福岡の地名なんですよ。那珂川という地名が今も残ります。朝倉宮に移る前の行宮(かりのみや)長津があったと一説では言われている場所なんですね。
長津宮=磐瀬行宮は別の場所という説もあり、それはもう少し豊前の国寄りです。いずれにしても、もともと縁があるとも考えられ、何かしらこの地方に訪れる必要があったのかも?などと考えるとあながちトンデモ伝承とは言えないのかも、とワクワクしてきます!
 
 

地方の古代史研究もいいかも!

古代史の中心はやはり大和にあるため、地方の情報ってなかなか目に触れることができません。発掘作業でいろいろ出てくればいいのですが、かろうじて遺構が出たものの何の遺構なのか推定できないことが多いものです。地元に残る伝承とか神社縁起なのど丁寧に探していく必要がありそうですね。
でも郷土史の調べ方ってどうするのかな?やっぱりまずは資料館、図書館でしょうか。

近江から遠く離れた地で残念に思うことが多いのですが、なんだかとても良い拾い物をしたような気持ちになるGWとなりました。
 

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<琴弾ノ滝>

満を持して登場!近江神宮(違)

日記


見てきました!「ちはやふる 下の句」
上の句公開後すぐだったんですね。こういう興行の仕方は最近の流行りかな?半年後くらいにやるのかと思っていたらすぐだったので、慌てて行ってきました。

 

chihayafuru-movie.com

 

今度こそ!近江神宮!!

全国大会に出場することになった瑞沢高校かるた部。やって来ましたよ、近江神宮吹奏楽部の威風堂々の調べにのってババーンと登場。美しい…。思わずホロリと涙が。(なんでだ)うん、だってしばらく近江神宮には行ってないんですよ。山科の御陵はなんとしてでも行かなきゃと思って関西に行くたびに寄るようにしてるんですが、近江神宮はアクセス上の都合でなかなか行きづらく。しばらく行ってなかったんです。やっぱいいなぁ~。
ていうか、あんなに人の集まっている近江神宮、始めて見た。年始のかるたの名人戦クイーン戦のニュースがあるときにちらりと映像で見るくらいなので、近江神宮に人が集まってる姿って想像できなかったんだけど、やっぱり本当にかるたの聖地になってるんですね。ありがとう、藤原定家(?)

でも出来ればなぜ近江神宮なのかとか、ご祭神のこととか(!)説明があったほうがいいんじゃない?と思ったんですが。映画の観客はてっきり原作ファンなんだろうな~と思っていたんですが、見たところ広瀬すずちゃんファン?なのか中高校生くらいの男子が多かった。原作を読めばわかるだろうけど、映画が初見の人にはわかならいところが結構あるんじゃないかな~と。
話の本筋じゃない?…うん、そうなんですけどね。単なる私の希望です。


映画「ちはやふる

上の句が太一をメインにしたストーリーになっていたので、たぶん新を中心に話が進むんだろうなと思っていましたが、そうでもないというか、そのせいで話がバラけてしまった印象。
それぞれが悩み、成長していく青春ストーリーなので仕方のかもしれないんですが、登場人物のキャラがブレブレなんですね。特にちはやが。

太一のかるたが一番楽しかった時って瑞沢かるた部が全国大会決定した時じゃないのかなって思うんですけど。映画では子供の時の描写がほとんどないし、特に太一にとっては眼鏡事件で嫌な思いがあるはずなので、子供の頃の”チームちはやふる”を持ってくるのはちょっと無理矢理感があるかな。
原作は長い期間をかけて連載しているものを映画の尺で表現するのは難しいですね。しかもまだ連載中。ちはやふるの登場人物たちは皆キャラが立っているので映画の尺じゃもったいないんですよね。映画そのものもかなりのクオリティなので特に。

そして何より詩暢ちゃん!ハマリ役ですね、この女優さん。私はこの松岡茉優さんは初見で、ちょっと美少女すぎるのでは?と思ったんですが、確かに原作のイメージとは違うものの、若宮詩暢というキャラクターを圧倒的な”静”の雰囲気で演じきっている。下の句は全部詩暢ちゃんに持って行かれた感すらある。先が楽しみな女優さんです。

 

総括

この映画は将来有望な若手俳優の発掘現場のような気がしました。青春っていいなぁとしみじみ…(年寄りの感想です)。
おおつ光ルくんもチョイ役で登場するし。見ていて楽しかったです。
どうやら、続編が決まったとのこと。楽しみです。むしろ詩暢ちゃんのスピンアウトでもいいですね。

クレセントオフ会のこと

 クレセントとは漫画家・長岡良子賛成のファンサイトなんですが、かれこれ15年のお付き合いがあります。

 日本史の場合、フィールドワークが重要なこともあり、ゆかりの地を尋ねることは当初から活発に行っていたのですが、それぞれ事情があったり人の出入りがあったりで細く長く続いているクレセイントのオフ会、 本年も行って参りました。

今回は湖北の旅です。

 

クレセント

http://www.eonet.ne.jp/~cres/

 

 1.2000.11 正倉院展
 2.2001.5 近江★
 3.2002.8 葛城・栄山寺★
 4.2002.10 佐保路(子連れオフ)
 5.2003.3 ミニオフ(坂上郎女オフ)
 6.2004.4 飛鳥
 7.2004.8 山辺の道
 8.2005.4 平城京(お墓参りオフ)
 9.2006.4 鳥取(万葉コスプレ)★
 10.2007.4 斑鳩
 11.2008.4 福岡(粟田殿オフ)★
 12.2009.5 W飛鳥
 13.2010.5 東京(大正浪漫オフ)★
 14.2011.5 近江再び★
 15.2012.4 高岡(越中万葉オフ)
 16.2013.4 伊勢
 17.2014.5 天平三都物語(紫香楽、恭仁京平城京
 18.2015.4 太秦
 19.2016.4 湖北★

 

★印が私が参加している回です。

私も近江地方にはひとりでも結構行ってるほうだと思うんですが、興味が偏っているので、他の人と行くと新しい発見があって楽しいです。

レポートは改めて書きたいとは思っていますが、こうやって眺めてみると歴史を感じますねー。

社会に出てからこのかた、古代史の話をする機会がほとんどないので(歴史講座なんかにはそれになりに出席していますが、あれはちょっとまたベクトルが違うので)インターネットの力って本当にありがたいと思います。