SASANAMI DAYS

近江大津宮にまつわる云々 とか趣味のこと とか

大分市歴史資料館特別展「大分の君-飛鳥と豊後をつないだ人」

なんかもう全然近江宮について語っていませんが、もうひとつ。

 

 

大分市歴史資料館特別展「大分の君-飛鳥と豊後をつないだ人」

http://www.city.oita.lg.jp/www/contents/1320039742293/activesqr/common/other/4e97e448018.pdf

 

ミニ企画展みたいなのを想像していたら、なかなか良かったですよ!

薬師寺から天武天皇坐像なども来てましたし、結構力をいれてたんじゃないでしょうか。

…宣伝してなさすぎ★もったいない。

 

壬申の乱で活躍した大分君恵尺・稚臣をテーマにしていますが、さすがにマイナーな人物ゆえに順をおって初心者でも理解しやすよう展示がされていました。

個人的感想としては、古宮古墳をもっとアピールしていいよ!ってところでしょうか。

被葬者として有力候補となっているのが、恵尺であることがパネルでひっそりと紹介されてました。

大化の薄葬令の規定からいくと、古宮古墳は上臣クラスの墳墓であり、地方にある墳墓として被葬者に該当する人物を考えると、恵尺である可能性が非常に高いということです。

 

恵尺・稚臣と大海人皇子がどこで出会い、絆を深めたのかはわかりませんが(その辺わかる史料があればいいんですけど、あるわけないですよね~)普通に考えると斉明天皇征西のときですよね。もっというと、斉明天皇崩御のため、中大兄皇子が飛鳥に戻っているあいだ、九州を任された大海人皇子が唐の侵攻から守るため、大分君らと九州の防備を固めるために動いていたとかだったりするわけですよね?

 

もし斉明天皇崩御がなく、中大兄皇子が九州を離れることがなければ、後の歴史は変わっていたかもよ?

…な~んて妄想気味に考えてみたり☆

 

日本書紀』を読めば、大分君らの活躍はわかります。天武天皇から高位を授けられたことも記載されています。

でも読むだけだと、さらっと流してしまいます。

出土した遺構や遺跡、古墳などをみるとその意味がぐっと近づいてきます。

 

そういう意味でとても有意義な展示会だったなぁと思います。

 

2011/10/21~11/27 までの開催です。