SASANAMI DAYS

近江大津宮にまつわる云々 とか趣味のこと とか

天智天皇伝説の残る「琴弾ノ滝」

このゴールデンウィーク、今はなき地元ローカル登山雑誌「GreenWalk」に記事を見つけて以来、行ってみたいと気にはなっていたもののなかなか行きそびれていた山に行くことにしました。


なぜだか天智天皇伝説の残る滝

福岡県田川郡赤村。平成の大合併以降も村の名を残してるってなかなか貴重。同じ県内とはいえ、なかなか訪れる機会の少ない場所です。意外とも思える場所に何故か天智天皇伝説が残っているという。なにかあるのだろうか。
車でないとまず行けないような場所ではありますが、それなりに整備されていました。
ただ、看板と滝があるだけだったんですが…。
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紀元千三百拾年の頃というと、調べてみると西暦でいうと650年頃、大化6年または白雉元年頃ということになりますね。その頃はまだ孝徳天皇の頃だ、うーん残念!
あえて紀元で書いてあるところをみると、なにかしら伝承として残っているのでしょうか。すごく気になります。

そして「豊前の国に御立ち寄りの時」とありますが、何しに行ったの?!と言いたくなります。朝倉宮に政を移した白村江の戦いの頃ならともかく、皇太子時代に何のためにといろいろ妄想が捗ります。
 

中大兄皇子の名前

中大兄皇子が本当の名前ではなく通称であることは有名な話ですが、二番目の大兄を意味する名前としてそう呼ばれていた、という通説がいまだにしっくり来ません。二番目のって言ったって、一番目の人は早々にご退場されてますし(皇子様が殺してるんですけど)実際に政を行っていたときには大兄を称することができる人物が他にいないのに、あえて中大兄と呼ぶ必要ある?と思うのです。日本書紀、なんか隠してるだろ?!と思い続けているわけですが、ある時、ネットのどこかで見つけた説がすごく気になっています。
中大兄の「中」は「那珂」である。というもの。
関西の方とかにはピンと来ないかもしれませんが、那珂って福岡の地名なんですよ。那珂川という地名が今も残ります。朝倉宮に移る前の行宮(かりのみや)長津があったと一説では言われている場所なんですね。
長津宮=磐瀬行宮は別の場所という説もあり、それはもう少し豊前の国寄りです。いずれにしても、もともと縁があるとも考えられ、何かしらこの地方に訪れる必要があったのかも?などと考えるとあながちトンデモ伝承とは言えないのかも、とワクワクしてきます!
 
 

地方の古代史研究もいいかも!

古代史の中心はやはり大和にあるため、地方の情報ってなかなか目に触れることができません。発掘作業でいろいろ出てくればいいのですが、かろうじて遺構が出たものの何の遺構なのか推定できないことが多いものです。地元に残る伝承とか神社縁起なのど丁寧に探していく必要がありそうですね。
でも郷土史の調べ方ってどうするのかな?やっぱりまずは資料館、図書館でしょうか。

近江から遠く離れた地で残念に思うことが多いのですが、なんだかとても良い拾い物をしたような気持ちになるGWとなりました。
 

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<琴弾ノ滝>