SASANAMI DAYS

近江大津宮にまつわる云々 とか趣味のこと とか

クレセントミニオフ(藤井寺から羽曳野をめぐる)その③

藤井寺から羽曳野をめぐる」となっていますが、柏原にも行きました。九州在住なので、いつでも行けないからついつい欲張って足を伸ばした行程になってしまいます。

 

高井田横穴墓

  このあたり一帯に横穴があって氏族全体のお墓だった模様。高井田霊園、メモリアルパーク高井田というところですね。

 横穴の横壁の部分に線刻があってガラス越しに見ることが…できなかったのでレプリカ。子供が描いたような、ちょっと可愛い感じですね。葬送儀礼的な意味あるのかなぁ…

 

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柏原市歴史資料館

3/21までの特別展示になっていた夾紵棺が見たくてやってきました。夾紵棺の使用例は極めて少なく、特にこちらで展示されているものは絹45枚を漆で固めたものだということでかなり貴重なものです。表面をまじまじと見てみると縦糸と横糸が見え、布を使用しているのがわかります。棺のレプリカも置いていましたが、かなり大きい。板状になったものが発見されたので、実際の棺はどうなっていたのか分かりませんけど、中身どうしたのかな…

 

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夾紵棺

 漆と布を交互に貼り合わせて作られた棺。夾は重ね合せること,紵は麻布を意味する。

夾紵棺出土   阿武山古墳藤原鎌足?) ※盛り土なし

               牽牛子塚古墳(斉明天皇) ※八角

               野口王墓古墳(天武・持統天皇)※八角

               平野塚穴古墳(茅渟王?) ※方墳

               マルコ山古墳    ※六角墳

               安福寺所蔵(叡福寺北古墳? 聖徳太子?)

   

 

   

 

田辺廃寺

百済系渡来氏族の田辺史(たなべのふひと)氏が建てた氏寺と言われていて、クレセント的には重要なところです。

隣接の春日神社さんが管理されているという収蔵庫も見学させていただきました。

昭和46年に発掘調査したあとはそのままになっているらしく、驚くほど瓦がいっぱい。金堂・西塔・東塔・南大門・回廊の遺構が見つかっており、中門の北側に東西両塔を配した薬師寺式の伽藍配置が確認されているそうです。この日訪ね歩いた河内の一帯は古代氏族が競って寺院を建立していて当時の人々からするとまぶしい光景だったのでしょうね。

田辺氏には山科にも拠点があって、藤原不比等の幼少時には山科で養育されていたのだけど、壬申の乱後はこちらに移り住んだ可能性もありますよね。礎石の残る廃寺跡をしばし時間を忘れて楽しみました。

 

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杜本神社

 資料館から田辺廃寺、杜本神社は公共交通機関がないので、タクシーで移動しました。ひとりだったら歩いてただろうなぁ。ありがたや。

現在の祭神は、経津主命(ふつぬしのみこと)・経津主姫命(ふつぬしのひめのみこと)とされているが、平安初期には百済宿袮永継(くだらのすくねながつぐ)とその祖先の飛鳥戸氏(あすかべし)を祀(まつ)る神社であった…ということなんですが、この神社は藤原永手の墓があるとのことで来てみたのだけど、それらしき案内板がない…。

 

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いや、あるにはあったんですけど、…これ?

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ちょっと気の毒な感じ?

郷土史とか調べてみると何かあるんでしょうか。

杜本神社は駒ヶ谷駅のすぐそばなので、駅がゴール。強行軍なオフ会おつかれさまでした!

次回オフ会やるときにはもう少しじっくり見て回れるコースにしたいなぁと思った次第でした。

 

 

 

クレセントミニオフ(藤井寺から羽曳野をめぐる)その②

この日のオフ会は日帰りのミニオフ。欲張り行程を組んでしまったので、一つ一つの訪問地にあまり長居はできないんですが、しょっぱなから時間オーバー。いや、だって楽しいんですもの…

そんなわけで、この後は結構巻いて移動。

 

 仲哀天皇

  恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)

    考古学名:岡ミサンザイ古墳

仲哀天皇

 足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)、ヤマトタケル第二子(母は垂仁天皇皇女・両道入姫)

 皇后:息長足姫(おきながたらしひめ)、神功皇后

色んな意味で気の毒だなぁと思う大王です。

 

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 ◆アイセルシュラホール

近くの津堂城山古墳で発掘された水鳥形埴輪や井真成墓誌などが展示されています。阿倍仲麻呂吉備真備らの遣唐使船に同乗した留学生で、藤井寺市は「まなり君」として推しているようです。

墓誌は復元品との記載がなかったため本物?と色めき立ちましたが、どうやらレプリカです。

 

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辛國神社

  雄略天皇の御代に創建されたと伝わる。この地方を収める物部氏がその祖神を祀ったのが始まりとされる。ここはわりとスルーな感じで(^^;

 

 

葛井寺

実はご本尊の千手観音様は4日ほど前までトーハクにいらしていたので心配しましたが、ちゃんととお戻りになってました。本当に千の手を持つ観音様です。

葛井寺の楼門側にある案内板には神亀二年の開眼法要に、藤原房前を勅使、行基を導師として勅号をくだされた、とあるのに西門側のそれには房前が省略されていて房前大好きなクレセント的には不評(笑)

 

聖武天皇によって葛井連(ふじいのむらじ)の邸宅地に建立され、春日仏師に命じて千手千眼観世音菩薩を造らせたものとされていますが、発掘調査の結果では、7世紀中頃までさかのぼる瓦が出土しているとか。

 

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道明寺

 こちらも国宝の十一面観世音菩薩がご開帳です。

 古くは土師寺と称し、土師氏の氏寺だったのが。次代が下り土師氏の子孫の覚寿尼が入寺し、甥の菅原道真公により道明寺と呼び改められることになった…という由緒あるお寺なのですが、我々の目当ては道明寺餅(!)…だったんですが、売り切れ。道真公由来の道明寺糒を使用しているものだとは知りませんでした…m(_ _;)m

 

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クレセントミニオフ (藤井寺から羽曳野をめぐる)その①

前回の記事から1年半…

ブログがあったことを本人すら忘れていそうです。 

昨年の北京都のオフ会のことも書かなきゃなのですが、ひとまず忘れぬうちに、ミニオフのレポートです!

 

以前から野中寺にある弥勒菩薩半跏像の台座にある銘文のことが気になっていました。

 毎月18日が御開帳だということで、そのうち行こうと思っていたのですがクレセントのミニオフとして 拝観することになりました。

 

 この日 藤井寺に集合したクレセントメンバーは5人。 ここ数年のクレセントのオフ会は 自動車による移動が多くなっていたので公共交通機関を使った移動というのは久しぶりです。

長岡良子先生の「暁の回廊」は舒明天皇11年の河内国丹比郡野中郷、ここから物語は始まるのです。 そう、阿刀君の実家の船氏はここ野中郷にあるです。(と偉そうなことを言っておきながら、それは浅香さんに言われるまで気づいていなかったんですが)

 

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野中寺の縁起によると蘇我馬子の助力を得て聖徳太子が建立したとされていますが、

王辰爾を祖とする百済王氏の一族として、船史(ふなのふひと)で代表される船・津・白猪(しらい)らの氏族が、同郡の西に隣接した丹比郡にかけて活躍するようになっており、船氏が一族の繁栄と守護を願って建立した氏寺であるという説もあるそうです。

境内には塔跡、金堂跡の礎石も残っていますが、伽藍配置は少し珍しいものらしい。

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さて、その野中寺の弥勒菩薩半跏像が今回のオフ会の最大のお目当てです。

この台座には「丙寅」の刻銘があることがポイントです。天智5年(666年)の制作だということ。

 

【銅造弥勒菩薩半跏思惟像】

台座丸框刻銘

丙寅年四月大■八日癸卯開記 栢寺智識之等 詣中宮天皇大御身労坐之時 誓願之奉弥勒御像也

友等人数一百十八 是依六道四生人等 此教可相之也

 

ここに書かれている中宮天皇は誰のことか、とか、当時天皇号が使用されていたのか、とか色々な論争があるようです。

 天智天皇5年というと、斉明天皇はすでに崩御中大兄皇子の称制とされている時期です。その期間は間人大后が中継ぎとして即位していたという説を採って中宮天皇は間人皇女とする説が有力なんですかね?日本書紀によると、その前年2月に間人は薨去していますが。

私の妄想(←)によると、天智天皇5年3月には佐伯連子麻呂を見舞っている記事もあることですし、白村江の敗戦、母、妹、盟友の相次ぐ死に直面して弱っていた天智のことじゃないかと思うんですけど、まぁ妄想です(^^;

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弥勒菩薩半跏像は御開帳の日には本当に間近で拝見できるのですが、肝心の銘文は台座の裏側面に刻されていて、像は厨子の中に収められているため、全文読むことができません(泣)

いやいや皇子様のために作られた弥勒像だと思えば、ありがたく拝んできました。一日中眺めていたくなる仏様です。

 

天皇陵と古墳名

今、古墳がHot!…なんでしょうか、◯△の古墳に行ってきたよー(^O^)/

という話題がよく出ます。

古墳は私も当然興味がありますので、ほぅほぅ楽しそうだなぁと話を聞きますが、被葬者が誰かわからないことが非常によくあります。そもそも誰の墓なのかわからないといのが当たり前の古墳ですが、天皇陵くらいはねぇと思い、調べて書き出してみました。主に私のメモ用ですが。

  • 29代 欽明ー檜隈坂合陵ー平田梅山古墳/(◯橿原円山古墳)
  • 30代 敏達ー河内磯長中尾陵ー太子西山古墳
  • 31代 用明ー河内磯長原陵ー春日向山古墳
  • 32代 崇峻ー倉梯岡陵ー(古墳名ナシ)/(◯赤坂天王山古墳)
  • 33代 推古ー磯長山田陵ー山田高塚古墳
  • 34代 舒明ー押坂内陵ー段ノ塚古墳
  • 35代 皇極(重祚して斉明天皇
  • 36代 孝徳ー大阪磯長陵ー山田上ノ山古墳
  • 37代 斉明ー越智崗上陵ー車木ケンノウ古墳/(◯牽牛子塚古墳)
  • 38代 天智ー山科陵ー御廟野古墳
  • 39代 弘文ー長等山前陵ー園城寺亀丘古墳
  • 40代 天武ー檜隈大内陵ー野口王墓古墳
  • 41代 持統ー檜隈大内陵ー野口王墓古墳
  • 42代 文武ー檜隈安古岡山陵ー栗原塚穴古墳/(◯中尾山古墳)
  • 43代 元明ー奈保山東陵ー(古墳名ナシ)
  • 44代 元正ー奈保山西陵ー(古墳名ナシ)
  • 45代 聖武ー佐保山南陵ー法蓮北畑古墳

 

うーーーーん、やっぱり御廟野古墳しかわからなかった(・_・;) それと古墳名のない方もいらっしゃいますね。知らなかったわぁ、もっと勉強します。

 

京都のゆかりの地めぐり

そうだ、京都に行こう。というわけではありませんでしたが、9月に京都に所用がありましたので、空き時間で天智ゆかりの地めぐりをしてみました。

(今頃のアップでごめんなさい)

 

まずは「山階寺跡地(推定地」

山科には何度も足を運んでいましたが、ゆかりの地って御陵以外にないよね?とずっと思っていましたが、ネットで調べてみると、新たに発見。

あくまでも推定地ってことで標識だけなんですが、平成20年3月にたてられたもの。新しくてピカピカです。

鎌足の「山階陶原家」付属の持仏堂が始まりだとか。山科は鎌足や田辺大隅のゆかりの地ですから、本当はもっと色々あってもいいはずなんですよねー。今後に期待です。

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 そこから御陵に向かって行く途中に「妙応寺」があります。

こちらは天智天皇ノ社の神宮寺だったらしいのですが、どなたもいらっしゃらないような感じでしたので中に入るのは遠慮して外からのみ写真を取りました。

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 あまり資料がありませんので、下のリンクを参考にどうぞ。

京都寺社案内*妙応寺 ,Myoo-ji Temple,Kyotofukoh

 

 そして山科御陵。何度でも来ます(笑)

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 その後、新京極の商店街の中にある「誓願寺」へ。

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知りませんでした。山科ならともかくこんな京都の真ん中に天智天皇勅願寺があったなんて~(≧∇≦)/ もともとは奈良にあったものが移転したとのこと。

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ご本尊は阿弥陀如来ですが、天智像も安置されているらしいです。わぉ!

本堂は自由に入れるようなのでお参りをすませると、どこかにいらっしゃらないかしらとうろうろとしてみましたが、やはり外にはお出ましにならないようです。

並べてあった寺報に写真が載っていましたのでそれと京都の非公開文化財特別公開のちらしをいただきました。

後からよく見ると、誓願寺さんも特別公開に21年ぶりで出されるとのこと。気になる~!!

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その後、七条まで移動し、「松明殿稲荷神社」へ。

数年前に京都旅行をした時に偶然通りかかって見つけて、びっくりしました。

小さなお堂ですが、ここにも天智像と大友像がいらっしゃるらしい。誓願寺さんのもそうでうが、たぶん江戸時代のものかなと思われますが、江戸時代でも人気ですねー、なんだか嬉しいような不思議なような。

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ここまで来たところで(予定通りですが)時間となったので本来の目的地へ。

丁寧に探せば色々あるものですね。

なんせ鹿児島の伝承まで追って行ったことありますので、引き続き情報があれば、追っかけ?て訪ね歩きたいです。