京都のゆかりの地めぐり
そうだ、京都に行こう。というわけではありませんでしたが、9月に京都に所用がありましたので、空き時間で天智ゆかりの地めぐりをしてみました。
(今頃のアップでごめんなさい)
まずは「山階寺跡地(推定地」
山科には何度も足を運んでいましたが、ゆかりの地って御陵以外にないよね?とずっと思っていましたが、ネットで調べてみると、新たに発見。
あくまでも推定地ってことで標識だけなんですが、平成20年3月にたてられたもの。新しくてピカピカです。
鎌足の「山階陶原家」付属の持仏堂が始まりだとか。山科は鎌足や田辺大隅のゆかりの地ですから、本当はもっと色々あってもいいはずなんですよねー。今後に期待です。
そこから御陵に向かって行く途中に「妙応寺」があります。
こちらは天智天皇ノ社の神宮寺だったらしいのですが、どなたもいらっしゃらないような感じでしたので中に入るのは遠慮して外からのみ写真を取りました。
あまり資料がありませんので、下のリンクを参考にどうぞ。
京都寺社案内*妙応寺 ,Myoo-ji Temple,Kyotofukoh
そして山科御陵。何度でも来ます(笑)
その後、新京極の商店街の中にある「誓願寺」へ。
知りませんでした。山科ならともかくこんな京都の真ん中に天智天皇勅願寺があったなんて~(≧∇≦)/ もともとは奈良にあったものが移転したとのこと。
ご本尊は阿弥陀如来ですが、天智像も安置されているらしいです。わぉ!
本堂は自由に入れるようなのでお参りをすませると、どこかにいらっしゃらないかしらとうろうろとしてみましたが、やはり外にはお出ましにならないようです。
並べてあった寺報に写真が載っていましたのでそれと京都の非公開文化財特別公開のちらしをいただきました。
後からよく見ると、誓願寺さんも特別公開に21年ぶりで出されるとのこと。気になる~!!
その後、七条まで移動し、「松明殿稲荷神社」へ。
数年前に京都旅行をした時に偶然通りかかって見つけて、びっくりしました。
小さなお堂ですが、ここにも天智像と大友像がいらっしゃるらしい。誓願寺さんのもそうでうが、たぶん江戸時代のものかなと思われますが、江戸時代でも人気ですねー、なんだか嬉しいような不思議なような。
ここまで来たところで(予定通りですが)時間となったので本来の目的地へ。
丁寧に探せば色々あるものですね。
なんせ鹿児島の伝承まで追って行ったことありますので、引き続き情報があれば、追っかけ?て訪ね歩きたいです。
クレセントオフ会(湖北)2日目
オフ会2日目はあいにくの雨で、訪問地を変更しようかどうか迷いながら
まずは小浜市の羽賀寺へ向かいました。
元正天皇の勅願寺で行基さんが創建だそうです。ご本尊の十一面観世音菩薩立像は
古代史一の美貌で知られる元正天皇を写したものと伝わっており、気品漂う美しさです。
(いずれも素晴らしい場所でしたが、写真を撮っていなかったので割愛)
今回のオフ会のメインディッシュ(?)恵美押勝古墳へ!
仲麻呂の古墳というのは後世に伝わっていません。そもそも謀反人である仲麻呂の墓があるのかも不明ですが、大友皇子も大津皇子も伝承レベルではお墓があるわけで、仲麻呂のお墓だってあってもいい!(もっともこれらの2皇子は陰謀による死とも言えるわけで、後世の人が祟りを恐れて手厚く葬ったものかもしれませんが)というわけで、仲麻呂のお墓を探し出しました。
これはクレセントメンバーのくぼやんさんがNHKが2010年に放送した「追跡 平城京最大のクーデター」という番組で、藤原仲麻呂(恵美押勝)の古墳として紹介されたものを映像からリサーチして探り当てたものです。
(正直舌を巻くというか、方向音痴の私からすると脱帽ものです)
その場所は確かに古墳ぽいこんもりとした小山にありました。ただ標識も案内も何もありません。ただの木が多い茂る小山です。
NHKもどんな根拠で紹介したのかなぁと思いつつ、皆で山の中に分け入って…
発見!…石棺?
これ以上は素人の私達にはわかりませが、今回一番の興奮した場所です。
真偽のほどはわかりませんが、それにしても誰からもお参りしてもらってないのは少し寂しいですね。いつか見つけてもらえるといいのですが…。
その後は、仲麻呂終焉の地、乙女ヶ池へ。
仲麻呂が捕らえられ斬刑にされたという勝野の鬼江と推定される場所です。
現在は内湖となっていますが、当時は入江だったようです。
惠美押勝(藤原仲麻呂)の乱と、勝野の鬼江 - びわ湖源流 ドット コム
リンク先にある地図を見てみると、今回の私達の行程はみごとに仲麻呂の乱の足跡をを辿ったんだなぁと感慨深いものが。企画立案していただいた千尋さんのおかげですが。(私は車に乗ってただけー)
所用があって私はここで皆さんと別れましたが、オフ会はもう少し続いていて鴨稲荷山古墳にも行ったようです。
うん、すごい満足感。
なかなかこんなコース、ひとりじゃ行けません。
ここのところ、古参メンバーばかりが参加していますが、ご新規さん大歓迎なので
興味のある方はぜひご参加いただきたいですね。
クレセント http://www.eonet.ne.jp/~cres/
クレセントオフ会(湖北)1日目
クレセントの湖北オフは醒ヶ井駅集合。
中山道の醒井宿をのんびりお散歩から始まりました。
桜の満開に間に合えばいいなと思っていたのですが、さすがに4月中旬ですと
花は過ぎていました。
また、醒井宿は梅花藻が有名なのですが、花が咲く季節にはまだ早いため藻だけしかないのですが、流れる川の水がキラキラと輝いてとてもきれいでした。
ひとしきり散策のあと、メンバーのおひとり、くぼやんさんの運転する車に乗り込み
まずは息長陵へ。米原市にあります。
息長広姫皇后の御陵です。広姫は息長真手王の娘で敏達天皇に嫁ぎ、押坂彦人大兄皇子を生んでいます。
押坂彦人大兄皇子と敏達皇女の糠手姫との間に生まれた田村皇子が即位して舒明天皇となっています。つまり、中大兄皇子のひいお祖母様にあたる方ですね。
敏達天皇皇后ですが、早くに亡くなったため、その後、炊屋姫が立后して皇后となり、その後推古天皇として即位します。……なんか怪しくない?当時の都は飛鳥なのに、湖北地方にぽつんとお墓があったりするし。
それはさておき、湖北オフは範囲も広く移動距離も長いため、さくさく次へ向かいます。
次に向かったのは向源寺。
とても美しい国宝の十一面観世音菩薩がいらっしゃいます。
十一面観音のところで結構時間をとっていまったので
予定を変更して、次は長浜市木之本にある安念寺へ。
このお寺はクレセントのオフ会ならではというか、とてもマニアックといいますか。
聖武天皇の御世、詳厳法師が開かれた草庵なのですが、詳厳法師とは右大臣藤原不比等の庶子だそうで……誰?
不比等マニアなクレセントメンバー色めき立つ!(笑)
藤原氏の末裔の十戸の村民の方々でお守りしているとのこと。
もともと17体の仏像だったですが、盗難にあい、現在十体ほどの仏様が安置されています。
江戸時代くらいの話かと思いきや、平成にはいってからのことだということで少しびっくり。
仏様の損傷も激しいのですけれど、しっかり拝ませていただきました。
そのあとは、一度は行ってみたかった古代の三関のひとつ愛発関へ。
近江国と越前国の国境にあった関所。古代において越前国は非常に重要な立場であったと思われますのでとても重要な場所になります。
…とは言っても愛発関についてはまだ全然どこにあったのかもわかっていない様子。
行って来たのは、推定地として有力となっている疋田。(後から知ったのですが敦賀よりの山中区にも同じような看板が立っているとのこと)
航空写真で見てみると、山間にあって押さえておくには重要なポイントであることが伺えます。
何か発掘されるといいんですけどね。
オフ会初日はここで終了。宿泊地の小浜市へ移動しました。
もう十分マニアックですがまだまだ続く。
クレセントオフ会(湖北)のひとりプレオフ
あっという間にオフ会から5ヶ月。ようやくレポートします。
クレセントのオフ会については以前にも書きましたが
今年も参加できました。(H28.4.16~17)
今年は湖北!クレセントならではのマニアックな香りがぷんぷんと漂います(笑)
土曜日のお昼に集合予定でしたのでは、午前中はひとりプレオフ(?)
ということで、まずは定番の山科御陵。
ここはやっぱり落ち着きますね。
まずはご挨拶を済ませてから、プレオフの目的地、
近江八幡市にある桑実寺(くわのみでら)に向かいます。
桑実寺は天智天皇勅願寺なんですが、なかなか湖東地方には行けてなくて
湖北オフにあたり、ようやく行ってくることができました。
最寄り駅は安土駅で、ガイドブックには徒歩20分と書いてありますが
ここはレンタサイクルがおすすめです。
入り口から石段を登ります。600段くらいあったかな?なかなか大変です。
本堂は内陣まで入ることができ、「桑実寺縁起絵巻」を見ることが出来ます。
「天智天皇御四皇女阿閇皇女が病ませ給ひ、夢に琵琶湖の浪が誦経の声を挙げ、其の浪の音の止まる処瑠璃の光七方にさすと見て覚めぬと語られたので、天皇は定恵和尚に詔して、その地を相し法会を修せしめ給ふ」
…だそうです。
そういえば、天智ー持統の親娘関係は色々と取り沙汰されますが、天智ー元明というのはあまり聞きませんね。
阿閇皇女が見た父君はどんな方だったんでしょうか?
そして気になるのが開祖が定恵となっているところ。
どうなんですかね、気になる~。
安土では安土城考古博物館にも立ち寄りました。
秋季特別展「飛鳥から近江へ―天智天皇の意図を探る―」のリサーチです。
…がまだ、このときにはまだ何も決まってなかったようで、書籍のみ購入し
秋の企画展に期待をしつつ、オフ会集合地、醒ヶ井に向かいました。
(続く)
草薙の剣の行方を追って
日本書紀の天智七年の項に草薙剣が盗まれた記事が載っています。
「是歳、沙門道行、草薙剣を盗みて、新羅に逃げ向く。而して中路に雨風にあひて、荒迷ひて帰る。」(岩波文庫)
岩波文庫の注釈を読むと、このあと宮中に保管されていたと推測していて、朱鳥元年に天武天皇が病に伏し
占ったら草薙剣の祟りだというので(何故祟られるのか意味深ですねー)即日、熱田社に送ったのこと。
そもそも道行という僧がどこから盗みだしたのかよくわかりません。
何の脈絡もなく、その結果どうなったかもなく、この一文だけが無理やり挿入された感じがします。
うん、何かを言わんとしているよね、これ。色々妄想が掻き立てられます。
それはさておき。
その盗まれた草薙剣が発見されたという場所が、なぜだか福岡県の鞍手町に伝承が残っているとの情報を得て、早速行ってまいりました。
熱田!こんなところに熱田さんがあるとは驚きです。
おそらくニギタ=新北=熱田 だと思われます。草薙剣に縁がありそうです。
僧・道行が盗みだした剣はここにしばらく安置されていたそうです。
ただの思いこみかもしれませんが、境内に入った時、ここに剣は居たんだ!という感覚に見舞われました。
古代史を学ぶと、あー奈良に住んでいたかった、とよく思っていたんですが